【ネタバレ有】「博士と彼女のセオリー」の感想
I had loved you
この映画を観ているとついジョナサンやエレインの人間関係にまで目が行ってしまいます。もちろんこういったこともあるほうがストーリーとしては面白みが増しますが。ただこの映画でみせたいのはドロドロの人間関係ではなく、そういった人たちや関わりを含めての夫婦としての愛なのかもしれません。色んなことを含めて、認めて、受け入れて、それでも夫婦としての尊敬を忘れない。「I had loved you」には、そこにあった愛情と尊敬が満ちているのでしょう。
※ここから先はネタバレ含みます。
「I had loved you」とはいいつつも、やっぱり気になったし言いたくなっちゃう内容。
彼女とジョナサン
彼女とジョナサンが出会ってすぐの食事で、彼女は博士の研究を理解し尊敬しているかのような発言をします。この時点ではまだ博士の方を愛していましたよ、といった感じで。ただその後の家族ぐるみの付き合いをしていくうえでジョナサンが父親役として家族の中にどんどん入っていきます。ここの映像の見せ方がうまいですよね。
3番目の子供。
3番目の子供が生まれたあと彼女は母親に「誰が父親なの」と訊かれ「私をそんな女だと思ってるの!」と逆ギレします。その後ジョナサンとの告白に続きますが、ここではまだ二人は不倫してませんよ、というセリフになっています。その二人の会話を遠くから見る博士。博士も周りの噂に気づいていたのでしょう。ただ3番目の子供が生まれる前のシーンだけ、夫婦でセックスした雰囲気のシーンはありませんでしたね。1番目と2番目の子供の時は今から二人でセックスをするぞ、みたいな匂いはありましたが。3番目の子供の前のシーンだけは二人は寄り添って寝ているだけ。むしろ倦怠期やセックスレスの夫婦みたいなシーンに見えました。彼女が母親に問い詰められた時も話が途中で切り上げられていますし、この辺りのシーンはっきりと不倫を否定せず、一応彼女の言い分は聞きましたよ、といった感じがして巧妙なシーンだと思いました。
やっぱ不倫したよね?
んで、3番目の子供が生まれた後に彼女とジョナサンと子供たちでキャンプに行くように言う博士。この辺は二人の不倫を認めてしまっているのかな、と思いました。シーンとしてはキャンプ場で彼女がジョナサンのテントに声を掛けるだけになっていますが、映画としてはここではヤってますよ、という表現になっていましたね。お前らキリスト教徒じゃなかったのかよ。「汝、隣人の妻を愛せ」ってか。無神論者のホーキング博士に対して、キリスト教徒の二人が不倫するって何だか皮肉みたいですね。
彼女の言いぶん
なんだか彼女の言い訳をだいぶ聞いたげたように感じました。介護に疲れ、介護や家の事や子供の事で大変だから手助けしてほしいという彼女の要望を茶化す夫。そんな時に優しい男性に出会ったけれど不倫はしてないよ、という主張。博士側の言い分はどうなんでしょうか。博士とエレインが親密になっていく所が短時間で、その間の博士と妻のジェーンとの不和のようなものは描かれていませんでしたね。
そうは言っても匂わせている
映画の製作側は一応彼女の一通りの言い訳を聞いてあげたのでしょうか。それでも匂わす部分はちゃんと匂わしていますね。離婚の原因を博士側に押し付けているようでもないですし。どちらか一方の主張だけを鵜呑みにして美化した映画ではないです。彼女の言い分も聞きつつ、優しく表現してあげていますね。ドロドロの人間関係はこの映画の主張するところではないのでしょう。
離婚をする前に勲章を授与
二人の夫婦の関係は破たんしてしまいましたが、離婚をするのは勲章を授与されるよりも後でしたね。博士もアメリカで成功を収めている時に落ちたペンを見て思うところがあったのでしょう。このペンを落とすシーンは映画前半のALSの初期症状で博士が落ちたペンを拾うシーンと重なりますね。そしてアメリカでは車いすから立ち上がりペンを拾う博士の姿が見えます。実際にはそんな作業ですらできない身体になってしまっています。他人と同じことが同じようにできない苦しみ。皆で食事をするシーンでも描かれていました。その苦しみと大変さをずっと隣で支えてくれていた妻への感謝があったと思います。それ故に夫婦で授与に呼ばれるシーンがあったのだと思います。
話は変わって、神の存在
キリスト教のジェーンと無神論者のホーキング博士のそれぞれの主張は映画の始めから描かれています。終盤にはホーキング博士が神の存在を認めるかのような文を書き、それを読んだジェーンが喜ぶシーンがありますね。この後二人の夫婦関係は破たんしてしまいますが、アメリカでの講演でホーキング博士は落ちたペンを見、神の存在についての質問に答えます。きっとこれらの発言はホーキング博士らの積み重ねた時間によるジェーンへの理解や歩み寄りから来たのかもしれません。この映画で大事なのはキリスト教への理解ではなく、神の存在や信仰心に違いのある二人が積み重ねた時間の先にあるものではないでしょうか。
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