【MOVIE】「鑑定士と顔のない依頼人」の考察
母に見終わったら説明して、と頼まれたので忘れないように見終わったすぐにメモしておきます。
※完全にネタバレなのでまだ観ていない方は読まないでください。
はっきりしていること
- 修復の仕事をしているロバート・競売の手伝いをしているビリー・主人公の恋人になったクレアは、主人公を騙した人たち。
- 本物のクレアはカフェにいる背の低い女性
- ヴィラ(オンボロの家)は本物のクレアが所有している
- 主人公の恋人(偽クレア)は広場恐怖症ではない
何でそんなことが言えるのか
詐欺仲間について
絵画が盗まれた部屋にオートマタ(機械人形)が置かれている。
→偽クレアの部屋にあった部品がないと完成しないはずのオートマタ(機械人形)が完成している
→オートマタ(機械人形)を修復していたロバートと残りの部品を所持していた偽クレアが繋がっていた。
ビリーの発言と偽クレアの母の肖像画
ビリーの「絵を送る」発言
→主人公の家に偽クレアの母の肖像画
→裏にビリーからのメッセージ
→偽クレアとビリーは繋がっていた
他のサイトや記事で言われていること
- ビリーが詐欺グループの主犯格
- ロバートの恋人のサラも詐欺グループの一員
…らしいのですが、まあぶっちゃけどっちでもいいです。
ビリーが主犯格ならもっとビリーの恨みをもうちょっと描写してあげても良かったのかも。あと伏線としてビリーとロバートの繋がりをだしてあげたらもっと主犯格っぽくなったかも。
ロバートの恋人のサラですが、主人公に「ロバートがクレアと何度も言っている」と告げ口しています。サラも詐欺グループの一員ならばこの告げ口はあまり詐欺行為にプラスにならないような?ロバートの浮気に耐えかねて、ロバートを困らせてやろうとしたのならありですが。でもここでクレアはロバートを信じるなと発言しています。これは映画本編に対して大事なセリフなのでこんなセリフを言わせるのならば、やはり詐欺グループの一員とは考えにくいです。
順を追うと
偽クレアが主人公に家具や絵画の鑑定を依頼する。
ロバートは主人公にオートマタ(機械人形)の部品を集めるように指示する。
偽クレアが広場恐怖症を演じる。
主人公は偽クレアのために世話を焼く。
ロバートからの恋愛指南を受けながら主人公と偽クレアは恋人になる。
ロバート・偽クレア・ビリーに騙されて主人公の絵画が盗まれる。
蛇足ですが、説明
偽クレアの所持していた家具や絵画
→レンタルとか一時的に購入したもの?なので競売に掛けられると困っちゃう
→カタログを廃棄
オートマタ(機械人形)の部品集めを指示
→主人公に偽クレアの家に通わせるため
偽クレアの広場恐怖症の演技
→主人公にクレアの世話をさせるため。(管理人もグルだったので都合よく肺炎を患ったフリをして主人公にクレアの食事を届けさせています)
ラストはハッピーエンドなのか?
恋人や友人たちに裏切られ主人公は廃人になる。ここまでははっきりしています。ただその後は回想や現実が入り混じった映像になっています。これをどこまで回想や妄想とするのかで話は変わってしまいます。主人公の廃人後すべてを回想や妄想とするとなんとも悲しい話になってしまいます。
ただ本物のクレアに出会ったりプラハに引っ越したりの映像が長いので、私はこの箇所は現実だとみます。
絵画や友人を失い、一度は廃人同然になった主人公は偽クレアとの行為を思い出しながらプラハへ行きます。
プラハに着くとそこには偽クレアが話していた「ナイト アンド デイ」というレストランが出てきます。つまり偽クレアの話していた内容の中にも真実があったことになります。「どんな贋作の中にも本物がある」のセリフとも重なります。
「どんなことが起こっても愛している」のセリフを騙されたあとに主人公が思い出すシーンがあります。このシーンをわざわざ主人公が騙されたあとに回想させるということは、どんなこと=詐欺 とも考えられます。
そして最後に「連れを待っている」の主人公のセリフ。
女性を嫌い、絵画の女性しか愛せなかった主人公が愛することを知った、と捉えるとハッピーエンドのようにも思えます。
どんな贋作にも本物が隠れているのならば、偽クレアの中にも主人公への本物の愛があったはずです。
個人的な感想
それにしても最後のシーンは悲しく見えてしまいます。時計の針の音が聞こえる中で一人女性を待つ老人。偽クレアは主人公がその時間にその店にいることを知らないのですから、彼女が現れる可能性はかなり低いです。そのことを考えると、来るはずもない恋人を待つ映像には虚しさがあります。また、秒針の音が耳に残る時計たちの中で一人佇む老人の姿というのは、彼一人だけが過去に置き去りにされているみたいです。自分を騙した恋人をずっと待っているとこんな老人になってしまうよ、と言っているかのような。主人公がロバートにスマホの使い方を聞くときにも「私がサビているのだ」と言っていますし。ただこのセリフの後に主人公は変わりました。スマホを使い、友人とも食事をし、絵画ではない本物の女性を愛します。そのことを考えるとやはりハッピーエンドだと思いたいです。それなのに最後のシーンが寂しく見えるのは時計の印象が強すぎるからでしょうか。
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